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物語欲

ここ最近、自分の関心が身の回りの事柄よりも、もっと大きな問題にフレームアップしてしまっているためか、批評とか人文科学、社会科学、あとビジネス論なんかの本を手に取ることが増えて、フィクションや物語から遠ざかっていたのですが。
先日、Ustreamで放送されていた『Twitter文学賞結果発表座談会』を見て、久しぶりにものすごく「物語欲」が上昇しました。

『第3回Twitter文学賞』
http://www.ustream.tv/recorded/29527576/highlight/327544

ちなみに知らない方々のために簡単に説明すると、Twitter文学賞というのは書評家の豊﨑由美さんらが中心にたち上げた文学賞で、Twitterユーザー(かつ小説読み)の人たちを対象に、「一年間に読んだなかで、最も面白かったと思う小説に一票だけ」を投じてもらって投票数を集計し、国内・海外それぞれの一位を決定(ならびにランキングを発表)するという賞。

僕は結構、こういうランキングの類を、毎年楽しみにしている方でして。
というのは、こと本に関しては年々、刊行点数が増加していることもあり(日々ウォッチしている方ではあるんですが)、こぼれ落ちる情報っていうのが相当ありまして。
とはいえ正直、ランキング本とかを見て、まぁ上位になるタイトルっているのは、大体予想がつくか、少なくとも「あぁ、あれね」くらいのリアクションに落ち着きます。

重要なのは、下位に挙がってくるもの。
もしくは、多数意見ではないけれども、限られた何人かの評者が強く推しているもの。

それってほとんどの場合、「そんなのあったんだ!」っていう、教えられなければまず出会うことのないようなジャンルであったり、自分の射程範囲内からは外れているコンテンツであったりする。そこが気になる。
Twitter文学賞って、もちろん非常にニッチというか零細的な取り組みなわけですが、ゆえにそういう「多数意見ではないけれども、強く推したい」という票が反映されるシステムなのが、とても良いと思っていて。
この座談会が、観始めたらものすごく面白くて(メンツも杉江松恋さんとか佐々木敦さんとか、敬愛する評者の方ばかりで)、アーカイヴを探して前年の分も一気に観てしまいました。

で。
その両方で挙がってきた作家で(国内・海外あわせて何人かいるんですが)、気になったのが、津村記久子さん。

いやいや気になったって、あなた。
もう芥川賞も獲られているし、もちろん名前はよく存じていました。というか、ずっと積読しておりました。
で、本棚からようやく手に取ったのが『婚礼、葬礼、その他』(文藝春秋)という作品。
一読しまして...

「いい小説じゃないか!」

失礼にも程がありますね(笑)。
いやほんとに、積んでてスミマセンでしたって感じです。
前述の座談会においては、「どの作品にも“気概”を感じる」という読者からの評があって、面々が深く頷くみたいな場面があったのですが、大いに納得が行きました。
この作品は、主人公であるOLのヨシノが、とても親しい友人のカップルが結婚することになり、その二次会の幹事を任され、綿密な準備をして結婚式に臨むんだけれども、その最中に職場の上司から「部長の父上が亡くなったので、今夜通夜に出席するように」と呼び出されてしまう。するとその部長の父親は、教育者であったにもかかわらず外で複数の愛人をつくっていたり、家庭では家族を罵倒してばかりと、傲岸不遜というか人格にたいへん問題を抱えた人物であったらしく、列席者や家族の間には何だか不穏な空気が漂っているわ、披露宴の方も後を任せてきた後輩たちが使いものにならず、進行がグダグダになっていくさまが中継されてくるわで、あっちにもこっちにも振り回され、空腹も相まって引き裂かれていく気持ちと格闘しながら、「結婚式とか葬式って、いったい何なんだろう...?」という思考と向き合っていく、というのがストーリーと言えばストーリー。
でも、どことなく堅いタイトルからイメージされる内容よりもはるかに軽やかで、実にリーダブル。
そして、「儀礼って、何なんだ!?」という問いを、強く感じる作品になっています。
それはもう何というか、拳を振り回して暴れるくらいのイメージで(あ、主人公は別に暴れたりしませんが)。
このあたりが、「気概」を感じると言われる作風の所以なのでしょうね。

とはいえ、この作品を読みながら、あらためて思ったのは、「これっておかしくない!?」「てか、みんなもこう思ってるでしょ!?」みたいな強い問題提起を作品に込める際に、書き方として、テンションを上げて訴えるより、抑制をきかせた文章であったり表現であったりする方がやはり、効果があるんだなぁ、ということ。
そして、そういうクリティカルな問いかけに対し、必ずしも物語のなかで、その「解答」を示す必要はないんだなということ。
もうちょっと正確に言うなら、「解答」を示すか示さないかは、物語のカタルシスとは無関係である、いうことです。

と、何だか小難しいことを申しておりますが。
覚え書きですので、聞き流して頂ければと。

とにかく、津村記久子さんをこれからちゃんと追いかけなければ、という思いを強くした次第です。

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